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2006年5月26日 (金)

京都のKウインドオーケストラ創設⑭

Kウインドを取り巻く、というより、それはまず、ぼく自身のまわりに環境の変化として現れていたかもしれない。

とにもかくにも、ぼくたちがコンクールに出場するとわかるや、一変したのである。

そしてそれは、30年ほど前の、京都の吹奏楽事情がいかに閉鎖的だったか、それを物語るものではなかったろうか。

・・・・
ぼくは京都の高校時代、吹奏楽部でクラリネットを吹いていたのだが、その同期のひとりのサックス吹きに、ある時、こういわれたのである。

『 おい、おまえら(ぼくらの楽団のこと)、ええかっこすんな!
プロが何で(吹奏楽)コンクールに出られるんや? 』

けっこう、唐突だった。
ぼくとはお互いになにもかも知り尽くした仲だったから、歯に衣着せない言い方になったのであろう。
ぼくも彼の性格なんて100%分かり抜いている。
だからそのことは、まあ、いいと思っている。

彼は、そのとき別の市民バンドに所属していた。
そして毎年のように、京都代表で、関西大会に出場していたのである。

彼の言ったことは、じつは京都の一般吹奏楽連盟の諸団体も考えていたことのようにも思えるのである。
そのことを、ぼくも後で気が付いたのであるが。

当時は、京都代表として関西コンクールに出られるのは1団体だった。
そして、彼の所属する団体を含めて3団体くらいが代表権を争っていたのである。

それらの団体は、Kウインドのことを、まさに訝(いぶか)っていたのではと思う。

前出の彼は、言葉を続けた。が、こっちの言葉のほうは、ぼくにとって、絶対に彼を許すことのできないものだった。
(以下、もしお聞き苦しい表現だったら許してください。。。)

彼は、ぼくにこう言った
『 ○○(先生の名前!)なんか、なんやあれは!
ドイツから帰ってきたと思ってイチビッてるだけやないか! ・・・ 』

それを聞いたぼくは、もうそのとき何を言って反撃したかまったく覚えていない。
ただ確実に10倍以上にして返したことだけは覚えている。

(つづく)

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コメント

確かにKウインドがコンクールに出るとわかった時、一般団体はセミプロがコンクールに出てと陰口が横行しましたね。
特にHがそう言ってましたねぇ。

投稿: てるてる坊主 | 2018年3月 4日 (日) 20時42分

本当に貴重なコメントありがとうございます。
お返事と公開が大幅に遅くなり、申し訳ありません。
ブログを見ていただき感謝申し上げます。

Hさん、、確かにそうだと思いました。(笑)
この後のストーリーでは、コンクール直前になって行われた京都府の連盟との「話し合い」のことが出てまいります。
が、それは事実上「府の連盟からの呼び出し」でもあったと思うのです。
実は、その席上でHさんから「音楽の先生はプロじゃないか!」と発言され、それが連盟側の方針となってコンクール出場が事実上認められなくなったと記憶しています。
「芸大卒業者はプロだからコンクールに出場するのはおかしい」という京都府連盟独特の「考え方」も表されましたが、それ自体、当時の全日本吹奏楽連盟の考え方にも反しているものだったし、その主張は、だれが考えても当たらないことです。
また、「音楽科の先生の出場禁止措置」は、連盟の正式な方針とはなっておらず、Kウインドにのみ言い渡されたものであり、他の団体には適応されなかったのです。
しかし僕たちは、その決定を京都府の連盟のルールとして受け入れ、楽団として従ったのです。
Hさんですが、後年はウインドを温かく見守って下さるようになったようです。そのおかげもあってウインドは年月を重ね発展、栄光の歴史をたどって行くことになります。
そして今年、もう結成39年になるのですね、、
前身の京都管楽アンサンブル時代を入れるともっとですか・・ぼくが京都を離れて37年、、早いです。。
ともあれ、ウインドが今も健在なこと、感無量です。

投稿: アカルイくらりねっと | 2018年5月11日 (金) 02時06分

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